プロフィール


うつ症状・心の病

大学時代、かかりつけの心療内科の精神科医からうつ病と診断されました。
SSRI(セロトニン再取り込み阻害薬)とリスペリドンを処方され、初めて心の病で通院することになりました。
精神医薬は治るものと思って、期待していました。
実家では、家族全員が薬が病気を治すもの、癒すものとして、頭痛薬・高血圧治療薬・精神安定剤・高コレステロール治療薬・睡眠導入剤を飲んでいました。私だけが生活習慣病と無縁だったので、飲んだところで風邪薬だけでした。
薬付け家族だったので、精神医薬や医療に興味があり、DSM4-TR(精神障害/疾患の診断・統計マニュアル)を購入し、アパートの中で聖書のように読み漁っていました。
一方、薬に対して恐怖心もありました。ホルモン分泌の異常です。高校時代の友人は精神安定剤でホルモンバランスが崩れ、男性でしたが乳房が出来始めてました。
心療内科から貰った薬を投薬したところ、精子が生成されない身体異常が出ました。
いくら絶頂して射精しても、全く精子が出なくて戸惑いました。
大学時代の終わり、不幸な出来事が度重なり、目の前が真っ暗になりました。
そして、富士の樹海へ足を運ぶことになりました。
死への直行便だったのですが、人あらざる者の働きで、
途中で踏みとどまり、住んでいたアパートへ戻ることができました。

自殺未遂後の精神科医の診断

自殺未遂後アパートに帰ると、両親が部屋を掃除して待っていました。
危機迫るような面持ちで、心配しており、こんな表情もするのだと不思議に思っていました。
その頃の私は、生きている世界のものは、全て機械的に処理され、歩いている人も全て数字が支配してました。
後日、かかりつけの心療内科の主治医は、「感情がなくなってるね」と診断しました。
投薬生活は続き、大学卒業後実家に戻りましたが、就職するにも就職先を見つけることができず、途方に暮れ、日を追うに連れて鬱々とした気分が大きくなりました。
生きる意味は、ゲームと仕事。
パートでホテル業の仕事に就くことができました。
その仕事に就いたときは、ホッとしましたが、嫌な気持ちは湧き出てくる一方でした。
なんでこんなものに、どうして大学を卒業したのにパートなの、自分の生きる価値って。
興味のない仕事に嫌気と日々募る絶望で、寝てゴロゴロする時間が日増しに多くなっていきました。
入社して2週間。
先輩・上司の笑顔と怒った顔が出てくる中、何も覚えられず生きている意味が分からなくなり、オーバードーズしました。
山形大学病院で緊急入院しました。
集中治療室から出てきた後、精神科一般病棟で大学病院の精神科の医者のトップからこう告げられました。
「薬を飲まなくてもいい人だよ」と。

大学病院退院後の鬱の影

地元の主治医へ大学病院からの診断書を渡しました。
返ってきた言葉は、「引き継いだカルテだと薬が必要だとかかれていたけど、おかしいなと思っていたんだよ」でした。
この日以来、「薬は脳内物質に直接影響して治すもの」から「脳内物質に直接影響して維持するもの」、医者の診断基準は人によって異なることを学習しました。
そして、鬱を病気として扱うのではなく、生体反応として起こるもの。病気の原因で扱う「脳科学」を原因ではなく、結果として理解するようになりました。
鬱の原因を探るため、哲学・表向きが否定する科学・ビジネスなどを調べ、原因を理解・体感できなかったでした。
工場の仕事に就いても、ずっと付きまとう鬱症状。
毎日のように辛い、生きる意味がない、どうして自分だけ。
辛い原因が失敗だとしても、自分はもうだめだ。このまま、耐えることしかできない。
自分を直そうにも、何をやっても堂々巡りでした。
長時間労働と栄養失調で体調を崩し、会社を辞めました。
しかし、死ぬことはできませんでした。

鬱の克服

心理カウンセリングを受けながら、コミュニケーションを学んだことで、私の鬱に対する原因の答えが見えてきました。
脳の病気や生理学的な答えもありましたし、社会への接し方、心の理解など様々な問題が出てきました。
医学も間違っていなかったですし、私達の日常から生まれる話もありました。
「~が鬱の原因」と決めつけなくなり、初めて鬱になった自分がどんな状態なのかを受け入れ、対応できるようになりました。