ゲーム依存症だった私


ゲーム依存症だった私

ゲームの始めは6歳のときでした。当時は一家に1台のゲーム機が当たり前だったので、誰でも持っていたものでした。
ゲームに浸るようになったのは、小学中学年の頃。苛められていたこともあり、友達との話がゲーム中心になっていたからでした。遊ぶ理由は、全てゲームで、勉強や外で遊ぶことは、あまり興味を持ってなかったでした。
恋愛に興味を持ちだしてくる時期、「三上家を崩壊させる」ことを人生の目標にしていたので、人への恋愛感情を押し殺して、反動で2次元を好むようになっていました。
小中高と、ゲームだけで人脈を作って、孤独感をゲームで紛らわせていました。
大学時代、ゲームの遊び過ぎで、学期初めの授業のとき、自分の携帯電話番号を思い出せず、友達に聞いていたり、会話のときに単語が思い浮かばず、もごもご片言になることが多かったでした。ゲーム漬けの生活は、日常生活で感情を数学的理論で処理するようにさせ、自殺未遂の切っ掛けを生みました。精神科医からは「感情がなくなっている」と言われました。

社会に出たらゲームは卒業できるは嘘

大学卒業後、就職先を見つける力が生まれず、人の言葉に従って見つけたパートで、自殺未遂へ走っていました。やる気も何もなくしていました。
病院から退院後、ゲームだけは続けていました。
嫌なことが忘れられ、現在を生きていられるので幸福感がありました。
代償は、体の倦怠感、やる気の喪失、現実社会と自分の存在価値ギャップ。
特に、体のダルさと頭がぼーっとする感覚は酷いもので、仕事を覚えようにもずっと何か重いものが頭に乗っかっているので、仕事に集中できず、気がそれたときにゲームのことを思い出していました。
当然、覚える力は付くはずもなく、普段から身についているYES/NOで考える完璧思考が、仕事を覚えることを絶望視させ、家に帰れば、気晴らしにゲームに浸ってました。
次第にゲームから離れられるようになったのは、ゲーム中に外へ出る切っ掛けが生まれたからでした。それが外の世界の面白いものをゲームで表現しようという気持ち。
世の中で言う、社会人になったらゲームを辞められるというのは、私の場合は都市伝説で、真逆でした。
仕事やお金も外へ引っ張り出してくれず、出来なかったら死・自殺。今の自分を感じ取るためにゲームをする私にとって、大人たちの話は嘘になりました。
ゲームの繋がりが、ゲームを辞めるための切っ掛けを教えてくれました。

本当の克服へ

山形を探検し、妖怪地図を作る趣味が生まれて、ゲームをすることも忘れて、没頭しました。今まであったことのない人に会い、調査の仕方もわからず、無心になって新たな楽しみを謳歌していました。
良いことは長く続かないもので、再びゲームにハマりました。
理由は仕事を体調不良で辞めたからでした。
再び、就職活動をするとなると、YES/NOの気持ちが邪魔して、仕事を続けられなかった自分を悪者にし、現実逃避させていました。
しかし、ゲームで遊ぶことのON/OFFを切り替えれる自分へ変われました。
心理カウンセリングでした。
自分が持っている根本問題の完全思考が徐々に減っていき、ゲーム繋がり以外の人付き合いを覚えるようになったからでした。
心理カウンセリングに行き始めこそ、ゲームの話題しか語れず、レアもののゲーム攻略本を「価値があるものだぞ、良いだろう」と自慢していました。
それが次第に、ゲームではなく、会社の話題を話すようになり、休日に会社の人と旅行に行ったり、学生時代の友達と飲み歩いて昔語りをしたり、家族と仲良く話せるようになりました。

今でもゲームは必要なときは弄ります。
社会生活で、上司・先輩・小さい子供の付き合いで話題になるときもあるからです。
その代わり、劣等感を埋めるためにゲームを使うことがなくなりました。

ここまでご覧くださいまして、ありがとうございました。