プロフィール


いじめられていた頃の私

小学校時代
小学生のときから苛めにあっていました。
1年生のとき、集団登校中に「ハリー!ハリー!」と先輩から薔薇の針を向けられて、毎朝恐怖に怯え、泣きながら登校していました。
助けてくれる人は、班長だけでした。
小学校3年後半に、クラス内で嫌がらせが起きました。
私のことを「うぶー!うぶー!」と男子の一部が呼ぶようになり、「なんでや、なんでうぶっていうのや!」と言って、反抗し、暴力を振るうようになっていました。人を殴るようになり、「暴力は遊びや!」と言って、本当はやめて欲しい気持ちを何とかねじ伏せようと思い、懸命になっていました。
それでも、苛めはエスカレートする一方で、挙句の果てには、上級生までも混ざってきました。
私ができることは、暴力しかなかったのですが、当時の学年で一番喧嘩が強い人にも変なことを言われるのが嫌で、立ち向かっていました。
転機があったのは、6年生の3学期。
クラスの女子が、担任の先生に嫌がらせのことをこっそりと教えていました。
「学君は体が大きいから怒ったら怖いから、変なこと言うのはやめなさい」とクラスへ注意してもらえました。
それ以降、私への苛めがなくなりました。

 

中学校時代
苛め・登校拒否の一歩手前でした。
1年2学期の下校時。
学校の番長が、私と友達の会話をバカにするようなことを言ってきました。
「無視していくべ」と友達に話して、帰宅しようとしました。
すると、「とがしやー!」と大声が響きました。振り返ると、番長グループの人が自転車で私の周りを取り囲み、番長のもとへ連れていかれました。
番長に胸倉をつかまれて、
「お前が変なことすると、先輩たちが困ることになるんだぞ」と脅され、解放されました。帰宅後、何が起きるかわからず、震えていました。
しかし、後日、何も起きなかったでした。
友人の話から聞いた話では、友人の姉が「学君は悪い人じゃないから変なことしてダメだよ」と注意してくれていたのでした。
運が良かったでした。
そのこともあり、学年の番長グループと面識が生まれ、「あいつは下手にちょっかい出すと危ないから、手を出すんじゃないぞ」と言われ、読書とゲーム好きで平穏に過ごせました。

高校時代
1学年1学期の前半は、人気者でした。
後半、ある人が授業中に手をあげて教師に質問するとき、のどを鳴らして煩そうにな態度をしてきました。毎日同じことを繰り返されて、イライラ来て教室の中で怒鳴りました。
次の日から、誰も話してくれる人はいなくなりました。
登校するたびにバカにされ、自転車は蹴られてボロボロにされ、入学当初仲良かった人とは「あ、あー元気」と言われるのがやっとでした。昼休みは会話ができず、急いでご飯を食べて、寝るだけ。学校休みの遊び相手は、中学校のときの友達だけでした。
クラスで旅行帰りの女子がお土産のクッキーを渡していた時、「かわいそうだよ」と小声で言っていたことが印象に残っていました。
苛めで辛かったこともあり、担任の先生に相談しました。
すると、苛めの中心人物は「子供だから仕方がない」と言われ、哲学の本を貸してもらいました。
しかし、改善することはありませんでした。
2学年
1学年の人達とバラバラになり、新たなクラスでスタートしました。
自分を出さず、人から言われたことを聞き入れるだけで過ごして、せめて、完全無視のいじめが起きないように必死でした。
苛めはなかったですが、人とどう接したらいいのかわからなくなりました。

高校3年
クラスの男子から休憩時間に、バレーボールや空き缶を投げ飛ばされる嫌がらせが起きました。何故か、突然でした。辞めて欲しくて、頭にボールが当たったときに死んだふりをしたり、「なんでするの!」と言っても、中心人物は話を聞いてくれませんでした。クラスの3割の男子は、私のイジメに加担し、仲良かった人も共犯に加わっていました。
1学期も終わり、夏休み。頭から苛めの不安が取れず、受験勉強に集中する大事な時期なのに、勉強へ気が回らなかったでした。
2学期、嫌がらせは続きました。さすがに、いら立ちが隠せず、「訴えてやる!」と言って、生活指導の長に相談へ行きました。
すると、苛めた人を聞いてくれて、校内放送で呼びだしてくれました。
その日、家内で苛めをした人達の親から電話が届きました。
私は震えるばかりでした。
次の日、嫌がらせはなくなりました。

以降、大学生活、社会人生活で苛めはなくなりました。